ヒデキさんとの再会をブログに書いて、そのストーリーに当時、共感?してくれた人がいました。
トーソーさんのWithCurtainsを企画運営していらっしゃるOさんでした。
2011年のことです。
その年のWithCurtainsのデザインをdecoratorsのヒデキさんSHIOさんにお願いするという流れの中で、縫製を担当する所は?となったときに、あのブログがきっかけとなり私にオファーが。
それまで、全くdecoratorsさんのお仕事をしたことはありませんでした。
(よくそれで、あちらもこちらもやると決めたもんだと・・・今思い出しても冷汗モノです。(苦笑
結果↓
人生一度は生きるか死ぬかの瀬戸際ってあるもんです。って位の仕事でした。
こんな風に繋がっていったんですね。
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なんだか出来過ぎな話なので、もう1つ。
さて、なんでOさんがブログを読んでくれていたか、です。
そしてそれだけでは縫製をオファーされるまでにはなりません。
話は2008年までさかのぼります。
その年のJAPANTEX2008。
正直、この年を最後にJAPANTEXを見学しに行くのは止めようと考えていました。
毎年毎年、縫製分野での情報が少なくなるばかりだったからです。
「何か目的を持って」と調べていたら、セミナーが目に留まりました。
三塚春江さん、佐々木智美さん、木村幸子さんが御自身の仕事を紹介する
スタイリングプロのセミナーでした。
そりゃもう、目ん玉飛び出ましたよ。
今までレギュラーカーテンばっかり縫ってて、スタイルモノと言えばたまにやる出窓用のフリフリ。あとは大阪で縫い方だけ勉強してた昔ながらのスワッグちょっと位。
「なんじゃこりゃーーーー」ってセミナー終わってもすぐには席を立てませんでしたね。
で、大方の受講者が会場を後にした時にやっと席を立って受付に。
販売をしていた施工事例のCDアルバムを買いました。
「こんな世界があるんですね、ビックリしました。今日はありがとうございました。」
と、ボクが言ったんです。受付の方に。
それは、あとでとってもお世話になることになる、スタイリングプロ事務局の白川さんでした。偶然。
そしたらまた偶然、当時代表(現在は名誉顧問)の塩谷先生が通りがかり・・・
白川さんが塩谷先生を呼び止めてくださいました。そして
「あらアナタ縫製をやってるの、よかったら勉強しにいらっしゃい」
と、お言葉を頂けました。
ハイって言ったら行くしかっっ、と、2009年の1月から毎月の上京、勉強会参加が始まりました。
全くコネもなく、単身飛び込んだワケです。
「来てみなさい」って言われた。「ハイ」って言った。それだけで。
2回の見学参加の後、正式な入会には推薦人が2名必要でした。
たまたま、最初の見学参加でご挨拶出来た縫製も手掛けられている方2名にそれはお願いしました。
東和商会の河野さん
めいくまんの鈴木さん
・・・それも今思い出すと冷汗やわぁぁぁぁ(声が震える。
河野さんは、「推薦するのはいいけど、一年は休まず毎回出席しなーっ」とおっしゃいました。
ハイって言って毎月毎回出席しました。
結局2年間24回、京都や群馬の研修含む毎回。
そうすると、「遠くからなのに毎月エライわね~」と、本当にエライ人から褒めてもらえるようになりました。
遠いって、参加出来ないネガティブな条件を、褒めてもらえる、覚えてもらえる有利な条件に出来たんですね。
そんなワケでスタイリングプロを協賛してくださっているトーソーさんにも覚えて頂けるようになりました。
「遠いから」を、「遠いけど」に、です。
そんなこんなで・・・・
そんなワケでスタイリングプロを協賛してくださっているトーソーさんにも覚えて頂けるようになりました。
「遠いから」を、「遠いけど」に、です。
そんなこんなで・・・・
art-kがJAPANTEXのお手伝い、展示会の仕事が出来た最初の出来事です。
それは、ひっそりと。
そのデザインリーダーをされていたのが、
ファブリックマジック(現ダルクデコ)の木村さちこさん。
あまりにアレコレ聞いて必死こいてるボクの姿を覚えてくれるコトになり・・・
さちこさんからREIKOさんへ
http://ameblo.jp/royal-garden102/
先日のBon Chicにも掲載して頂けたお仕事へと繋がっていきます。
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WithCurtains?JAPANTEX?Bon Chic?
人生のターニングポイントって、大きな仕事をしたからでしょうか?
2回のブログの中で、
・名刺の図案に興味を持ち、聞いた。
・些細な事でも覚えていた。
・こんなことがあってさ、と、ブログに書いた。
・良かったと感想を言った。
・ハイって言った。言ったらからには行った。
・遠くから毎月通った。
・つまずきながらも必死こいて仕事した。
些細なコトが、人生の岐路でした。
そして、その先が変わったり、交わったり。
そうして、2015年の11月19日に皆さんの前に立っていたのです。
大阪カーテン技術会で色々と学び吸収していた事。
礎をキチンと築いておいて、その上で、些細なきっかけを大切にした。
そんな決して大げさでない、ごくごく基本で当たり前のコトで今が成り立っています。
ボクの不在時でも仕事を滞り無くしてくれるスタッフに恵まれたこと。
何気ない毎日に感謝しています。